東京ボイスアクターズ(の、たまご):第1章 第二話・プロローグ
声優志望である藍沢美優は、その生活の大体を女子校生として過ごしている。
人もまばらな放課後の図書室。西日を遮るブラインドが淡いオレンジの日に光を室内を明るく照らす中、美優は棚から一冊の本を手に取った。
解説ハムレット。
この本を手に取ったのはほかでもない。所属している声優養成所の授業でオフィーリアを演じるためだ。
土曜日、相手役の最上葉遠さんが言っていた。
『藍沢さん、オフィーリアって幾つくらいだと思う? 家族構成は? この子、ハムレットのことどのくらい好きで、いつも彼からどんな言葉をもらっていた? この場にいるのはどうして?』
ジュニアコース時代はなんとなくで演技をしていたけど、本科では通用しない。セリフの後ろにある情報を読み解き演じなければ、到底クラスメイトには太刀打ちできない。
周りは全員、基礎を積んできた人たちと、基礎がすでに身についている人だ。
中には美優を早速『落ちこぼれのジュニア上り』と揶揄する人もいて、それを覆すには彼らの二倍三倍努力するほかない。
美優は自習スペースまで本をもっていき椅子に掛けると、鞄からルーズリーフとシャーペンを取り出した。そして、幾度となく開かれたであろう古い本を開くと、要点を写し取る。
ハムレット。
時は中世から近世のスウェーデン。父である国王は死に、代わりに王となったのは前国王の弟。彼は王妃であった兄の妻と結婚し、主人公から王位と母を奪った。
そこから物語は始まる。
亡き父の亡霊の声を聞いた主人公は狂気を纏うが、宰相はそれは娘――オフィーリアへの叶わぬ恋故と察する。
宰相――父の命を受けて主人公に会うオフィーリアは、主人公から無下に扱われてしまう。
ふと美優の筆が止まる。ペンを置いて、本のページをペラペラと行ったり来たりさせ、目次を見、眉間にしわを寄せた。
オフィーリアの年齢も恋心の程度もなれそめも、書いてある気配がない。
戯曲全部をしっかり読んだら見つかる?
いや、台本も読み込んでセリフを覚えなきゃならないのに、そんな余裕はない。
この『記載のない部分』は、時代背景や情勢から、想像で演じるほかないのだ。
演技に正解はない。だけど、余りに外れすぎたら芝居が破綻するし、作家の意図からずれてしまう。
To be, or not to be.
この本を借りて読み解くか、借りないで自分なりのオフィーリアを構築するか。それが問題だ。
美優は思案し、一頻り悩んで立ち上がると、本を手に貸し出しカウンターへと向かった。
『しろねこさん』も役作りで壁にぶち当たったに違いない。