昔々、あるところに、ひとりの人形遣いがいました。



にんぎょうつかいのはなし。


 森から吹く風は、そろそろその香りを変える。
 緑は徐々に明るくなり、もうすぐ、その中に彩りを生み出す。
 それと共に、街が――人々が、少しずつ賑やかになっていく。
 人々の楽しみが、これからやって来る。
 街の人々の例外に漏れず、その青年もまた、花の手入れに勤しんでいた。花が開くのはまだ先になるが、固い蕾がいくつか出来はじめていた。
 唐突に肩を叩かれて、振り向く。
 そこには、見慣れた少女がいた。
「久しぶり、サナ・・・」
 陽光のような明るい茶色の髪と、左右で色の違う瞳を持つ少女に、青年――カナヤは言う。話すのは随分と久しぶりだが、彼女の様子は以前とまったく変わっていなかった。
 相変わらず淡い笑みを絶やさず、こんにちは、と言うように軽く頭をさげる。
「元気だった?」
 カナヤの問いにも、頷いて返事を返す。そして彼の左手をとると、そこに文字を綴った。
『春の祭りの、人形のことで』
「ああ」
 彼女の言わんとすることを察して、カナヤは先に言う。
「あれならもうすぐだよ。予定通りにいけば、あと数日で出来上がる」
 その言葉に安心したように、サナは微笑む。綺麗な、笑みだった。
「3日したら来てごらん。その頃には、きっと出来てる」
 返事として一度頷くと、サナは髪を揺らして去っていった。本当に相変わらずだ、とカナヤは声にはせずに呟く。
 サナは、片目が見えない。声も発せられない。
 五年前――彼女が家族と共に賊に襲われた時から。
 サナはその時に、両親を無くした。サナだけが、なんとか生き残った。
 しかし、命の代わりに彼女は視力を失い、声を失った――ショックで話せなくなった、と言った方が正しい。
 サナの今の黄色の右目は、義眼だ。本当の瞳は、左目と同じエメラルドだった。片方は残ったものの、もう片方は怪我がひどく、もとの瞳のままでは危険な状態だったのだ。
 そして、彼女は同時に、夢も、失った。
 父と母の後を継いで、宝石工になるのが夢なんだと、サナは幼い頃によく言っていた。無邪気な子供の夢ながらも、彼女は本気で考えていたらしい。
 けれども、その事件で視力を失い、それは叶わなくなった。
 宝石工は繊細な作業が多い。片目はまったく見えず、もう片方もあまり視力がよくない状態では、その作業は困難に思われた。
 もちろん、可能性がまったくなかったわけではない。眼鏡などを使うという手もあった。けれどサナは、それを拒否した。
 自分の目だけで見たものではないから、そんなのは仕事にはならない。それならばいっそ捨ててしまう、と。親譲りの、仕事にかけるこだわりがあったのだ。
 当然、簡単に諦められるようなものではなかった。けれどサナは、夢を、諦めた。
 あの事件の引き起こしたものは、まだ10歳だった少女には重すぎた。
 ・・・まあ、人づてに聞いたことだから詳しくは知らないが。
 もう見えなくなったサナの姿を見送り、カナヤはそっと溜息をついた。


 春の祭りは、この街にとって最大の行事である。
 森に囲まれた街の人々は、この時のために生きていると言ってもいいほどだ。他から隔離されたような場所では、楽しみも少ない。だから、この日を待ち望んで過ごす。
 もともとは、春の訪れを祝い、それを感謝するためにあったのだが、いつしか、街の人々にとって大きな楽しみになっていた。
 いたる所に花が飾られ、彩られ、5日間賑わいは続く。1ヶ月も前から準備をすすめ、この日だけは仕事を忘れ、ただ楽しむ。普段、静かに暮らしているカナヤも、この日は賑わいに参加する。
 そして、人形劇は、ささやかながら恒例となりつつあるものだった。
 今年で5回目になる。もともとはサナが両親と瞳を失った時に、誰かが励ましのために勧めたという。当然、街で唯一の人形作りであるカナヤに協力が依頼された。そしてそれ以来、春の祭りのたびに行っている。
 サナはこの日だけは長い髪を結い上げ着飾り、人形遣いになる。小さな箱のような劇場の中で、糸でつながった人形は音楽に合わせて踊る。言葉を持たないサナが、静かに織り成すもの。
 それが、ふたつの大きなものを奪われたサナの何になったのかは、わからない。けれど、その年の春の祭りの時から、サナは少しずつ元気になったらしい。
 ・・・結局、自分はサナを何も理解していない。
 祭りが来るたびに僅かに浮かんでくる不思議な疑問を、首を振って消す。そうしている間にも、春はだんだん近付いて来る。


 カナヤの人形作りの工房は、街のはずれにある。工房と言っても、自分の家で作業をしているわけなので、自宅としての役目もある。むしろそちらが主だ。生活の場所で仕事をしている、といった感じである。
 人形を求めに客が来ても、店ではないから人形を飾ってはいない。頼まれれば作り、それを売る。それがカナヤの生活の仕方だった。
 ただし、唯一の例外がある。それが春の祭りである。
 このための人形だけは、毎年必ず作っている。サナが人形劇を始めてから、ずっとそうだ。
 糸で操る人形は、カナヤが木で基礎となる体を作り、サナが衣装を着せて舞台に立たせる。
 人形を作るのは、何も自分のような人形作りだけではない。
 人形遣いが動かして、その人形を作っていくのだ。
 カナヤは、そう思っている。自分が作ったままの状態の人形は、人形ではない。ただの木の塊だ。動かしてこそ、命が吹き込まれていく。
 そうして、彼が人形をつくっていたところに、その知らせは来た。


 春の祭りまで、あと2週間という時だった。
 サナに言った「3日後」が今日だったので、カナヤは家で待っていたのだ。
 けれど、来たのはサナでなく、慌てた様子の街の住人。
「サナが・・・また賊に襲われたと・・・!」
 入ってきた途端、その男は半ば叫ぶように言った。
 様子からして、サナ自身に何かがあったとしか思えない。
 怪我は。命は。無事なのか。
 疑問がいくつも胸の中で渦巻く。
 カナヤは呆然としたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 知らせをうけて数日。その間に手に入れた情報は、サナと小さな少女のふたりが襲われたということと、どちらの命も無事だったということ・・・それだけだった。
 その後のサナの様子は、一切わからない。ただ、怪我がひどいとのことで、しばらく街から離れた館で過ごしているという話を聞いた。
 カナヤはというと、しばらく、自分の家に閉じこもったままだった。


 自分の手を見つめる。ずっと見慣れてきた手。動かない手。
 カナヤは、右手が使えない。腕はどうにか動くものの、指は感覚もなく、まったく使いものにならない。
 昔かかった、重い病気の後遺症だった。数日間、痛みと熱に散々うなされ、やっと治った時には、右腕がおかしかった。
 腕の感覚はその後もとに戻ったのだが、指は動かないままだった。ずっとこのまま治らないだろうと、医者に言われた。
 その頃、既にカナヤは人形作りの仕事をしていたから、これには相当困った。左利きだからよかったものの、不便で仕方がなかった。
 数ヶ月間苦労してどうにか慣れ、再び仕事が出来るようになって今に至るのだが、最初はかなりのショックだった。
 人形作りにとって、手は命。この手が人形を作り出すのだ。無くては困る。
 ぎゅっと、左手を握り締める。
 サナは、大丈夫だろうか。また、何かを失ってはいないだろうか。
 不安が、胸を支配していた。



「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
 ベッドの脇に座ったまま、その子はずっと謝っている。
「ごめんなさい・・・」
 涙で頬と服を濡らし、それでも必死に謝ってくる。
「私の所為で・・・」
 そんなことない、と首を振っても、その子は謝り続ける。
 頬と腕には小さな包帯。けれど、命に全く心配はない。
 その代わりに、自分は怪我を負ってしまったけれども。
「ごめんなさい・・・」
 その子はまだ顔をあげない。
「大丈夫・・・よ・・・」
 ――嬉しかった。
 この少女を助けられたこと。
 青い瞳を守れたこと。
 自分のような思いを、させずにすんだこと。
「大丈夫よ・・・」
 右手で、そっと、少女の髪を撫でた。





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