four:


 風が吹く。それは静かに、私の悲しみを運ぶ。その風は何処へいくのか。ただ、その風の匂いもまた、私が知っているものとは違っていた。
 サハトは黙っていた。何を見ているのかは知れないが、私に気を遣っているのか違うのか、どこか遠くを眺めているようだった。
「ほんとはさ、すごく、好き・・・だったんだよね、真栖のこと」
 彼女が全てをわかっていることを前提で、言った。本当は知っていなくとも構わない。ただ、話したかっただけ。
「ほんとは好きだったから、嫌いになった」
 許せなかったから。
 恐かったから。彼の中の、私のいた記憶を消されてしまったようで。


   『その、別れて・・・くれませんか』  
   敬語なんか使って、最後まであの人は自分を悪人にして。
   『何、で・・・』
   『他に・・・好きな人が、いるんだ・・・』
   その声は私に遠慮しながらも、揺るぎない決意を秘めていた。
   いつもは、本音なんか滅多に口にしないくせに。
   ああ、私はもうダメだなと、思った。
   『誰・・・』
   『うちの学校じゃなくて・・・他の・・・』
   近くの私よりも他校のその子を選ぶなんて、相当好きだったんだろう。
   『どういう、人?』
   その問いに、真栖は答えなかった。
   その意図など、今さら知る由もない。
   『香嶋』


 遠くなったことが悲しくて。
 けれど、その『嫌い』が、憎しみまでは届かないものだってことを、私は知っている。それでも、あえて言うのだ。
「わかってるんだよ。想いがいつまでも続くなんてことはありえなくて、きっと私よりも辛い恋をしてる人なんていっぱいいて、私のなんかただの傲慢な願いで、大した傷じゃないってことは」
 それでも。
 私には、これが精一杯で。
 だから自分が拒絶したふりをして去るしかなくて。
 涙なんて見せたくなくて。
 あの人の迷惑になりたくなくて。
 けどやっぱり、願いは消えなくて。
「あの人がいたい人と一緒にいればいい、って思うけど・・・それでもやっぱり、私は、傍にいてほしかった・・・」
 それよりも、傍にいたかった。
 あの人にとって特別でありたかった。
「けどもう、戻れないって、わかってるんだ・・・」
 もう一度あの人に会っても、あの人の気持ちは変わらない。どんなことが起こっても、二度と元には戻れない。そうだとすぐに理解できる程に、あの時の彼は意思を秘めていた。
 もう名前を呼んでくれない。もう傍にいてくれない。もう私を一番には見てくれない。
 だからもう、会いたくなかった。
 変わってしまったあの人を見たくない。
 これ以上、私を傷つけないで。
「弱いってことはわかってる。逃げてるってことも」
 本当は、あのひとの手をとった時からわかっていた。私は、誰かに求めてほしかったわけじゃない。真栖のいる世界にいたくなかっただけなのだ。
 あの世界にいたら、必ず、顔を合わせなければならないから。
 いつかあの人とあの子が一緒にいる所を見てしまうかもしれない恐怖があったから。
 逃げだとわかっていても、嫌だった。
 そこにあのひとが来たから、手をとった。
 ・・・情けない。
 全てが。

「・・・この世界は」
 やがてサハトは、静かな声で言った。
「貴女を、必要としている」
「・・・私、を?」
 サハトはどこかを見つめたまま。相変わらず、景色が目に映っているのかもわからない。声もどこか淡々としている。
 けれど。
「そう」
 彼女の言葉は、少しずつ私を癒していく。
「・・・支えだから?」
「そうだ。この世界の柱だから。けれど、それだけじゃない」
 私の望むものが―望んでいたものが、ここにはあるのだろうか。
「“支え”は、誰でもいいわけじゃない。貴女はそれに、選ばれた」
 私は、手をのばしていいのだろうか。
「貴女は、必要とされている」
 たとえそれが、宛て違いの望みだとしても。
「私、が・・・」
 嗚咽の止まった声で、呟く。サハトの動く気配に、体をよじって、振り返る。
 手を、のばしていた。
 彼女が。
 ――望んでいた場所が、ここに。
 ・・・私は。
 もう一度差し伸べられた手を、とる。そうして、立ち上がる。
 私は。
「・・・決まった?」
「うん」
 この世界で、生きる。



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