花は盛りを迎え、緑は一層色が深まった。
 風はいよいよ暖かな香りを運び、街を春の色に変えて行く。街は、賑やかになる。
「サナ」
 髪を結い上げ、明るい色の綺麗な服に身を包んだ少女は、声のした方を振り向く。
「カナヤ」
 彼の名を呼ぶと、すぐに駆け寄る。どうやら、街の中央の広場の様子を、陰で見ていたようだった。
「緊張してる?」
「・・・少しだけ、ね」
 いつもと違うのは、カナヤも同じだ。サナほどではないだろうけれど、少し、緊張している。
 サナが、カナヤの右手をぎゅっと握る。少し、震えていた。少しだけと言いながらも、本当は不安なのだろう。
 サナの手を、そっと握り返す。

『私と、一緒に・・・人形遣いを、やってほしいの』
 あの日、サナはカナヤにそう言った。
 小さな声で、呟いた。
『私の右手の代わりに、あなたの右手を貸してほしいの』

 ――言わなければいけない。
 ――自分は、あの言葉を。
 ――心に、決めたから。
「カナヤ?」
 今度は、サナが心配そうに訊く。
「大丈夫だよ」
 彼女を心配させてはいけないと、無理矢理にでも笑ってみせる。それを見たサナは、少しだけ安心したように微笑んだ。
「・・・心配?」
 少し、意地悪をしてみたくて、カナヤは言った。
 しかしサナは、彼の予想に反して、首を横に振った。
「カナヤがいるから、平気」
 その言葉に少し面食らいながらも、時間に気付いて気持ちを切り替える。
「行こう」
 サナの背をそっと押し、自分もその後へ続く。
 サナにとっては五回目、カナヤにとっては初めての舞台が、その先に待っている。



 片手の人形遣いふたりに操られ、人形は踊る。
 2色の瞳を持った少女の声は、優しく街の中へ響いていく。
 春の風は静かにその歌声を運び、ふたりを包む。
 カナヤの左手を、サナの右手と。
 そのふたつが、「人形」を作り出していく。
 くるくると舞い踊っていた人形が止まり、歌の余韻が消えると、広場には拍手の音が広がった。



「よかった、成功して」
 人形劇が終わり、広場の陰に来ると、サナはほっとしたように近くの壁によりかかった。
 カナヤも、普段と変わらない様子に見えるが、内心、やり遂げた安堵感があった。
「・・・サナ」
 目をきちんと合わせられないまま、カナヤがその名前を呼ぶ。サナは彼の表情を見ると、壁から離れて正面から向き合った。カナヤは、反射するように思わず目をそらす。
 決めたことだけれど、カナヤの中ではまだ感情が渦巻く。それを言った時、彼女はどんな反応をするのだろうか。きちんと、伝わるのだろうか。それが不安だった。
 言葉を紡ぎかけて、止めて。それが何度も繰り返された。
 サナが彼の言葉を辛抱強く待っているのを見て、カナヤの中で何かが少しだけ動いた。
 逸らしていた視線を、まっすぐサナに向ける。
 その少女は、相変わらず強くて、けれどどこか脆くて。
 言葉よりも先に、カナヤの体が動いていた。
 サナは、再び彼の腕の中にいた。
「カナヤ・・・」
 無意識のうちに、彼の名前がサナの口からこぼれる。呆然としているように、けれど何かを求めているように。
「・・・もう、我慢しなくていい・・・」
 やっと、彼が言葉にして告げる。
 あの時から、ずっと後悔していた。
 どうしてもっと早くに、気付いてやれなかったんだろうと。
 もっと早く、彼女に手を差し伸べてやれたらよかったのにと。
 彼女の傷をわかってあげられるのは、自分しかいなかったのに。
 あの日、家を訪れたサナは、とても強かった。
 腕を失った悲しみがあふれそうになっていたのに、他人にそれを見せまいとしていた。何度も何度も、堪えていた。
 それでも、彼女は強いままでいようとした。彼に願ったのは、小さなことだった。
 だから、もう後悔は終わりにしたい。
 彼女を救ってやりたい。
「辛かったら、辛いと言っていい。
 悲しかったら、泣いたっていい。
 僕が君の――支えになるから」
 ずっとその胸の中に、感情を閉じ込めてきたのだろうから。
 もうそんな思いはさせたくはない。
「傍にいるから・・・君と一緒にいるから」
 他に何も見つからなくて。
 自分に出来ることなんてわからなくて。
 だから、彼女の傍にいてやりたいと思った。
 それで足りないと言うなら、彼女の傍で、これから見つけていこうと思うから。
「だから・・・」
「うん」
 震えた声で、サナが呟く。それが今の彼女に出来る、精一杯の答えだった。
 お互いを包む腕は、そっと力を強くする。
 サナが両親を亡くしてから、初めての涙だった。




 その人形遣いは、その先もずっと、ふたりで人形を作っていったそうです。





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