それは、私がこの恋を終わらせようとした日のことでした。



一度だけの帰り道


 学校の門を出て、すぐ。

 交通量の多い交差点の信号。

 その日、私はそこにいました。

 今日訪れる終わりのことを、考えていました。


 空はまだ夕焼けに差し掛かるには早く、雲が途切れ途切れに流れていました。



 信号が青色に変わるのを待っていた時。

 私の肩を、誰かがそっと叩きました。

 振り返るとそこに、彼がいました。



 途中まで一緒に帰らない、と彼は言いました。

 私は心底驚いて、けれどそれを顔には出さずに、ただ頷きました。

 やがて信号が変わり、2人で横断歩道を渡って、歩き始めました。

 彼が私の帰り道を知っていたことに、その時は気付きませんでした。

 それほどに、私の驚きと込み上げてくる想いと痛みは、大きかったのです。



 交差点を過ぎると、住宅街の中の細い道に続きます。

 彼は他愛もないことを静かに話し、笑い、私もそれに合わせていました。

 緊張はしていたけれど、無理をすることなく彼といられることを、

 とても、幸せと感じました。


 けれどその日は、私が決意をした日でした。



 彼は、好きになってはいけない人でした。

 彼には、大切な人がいたのです。

 恋人という、大好きな人。

 わかっていたのです。

 それでも。


 彼は、彼女といる時、とても幸せそうでした。

 とても綺麗に笑うのです。

 私は、そんな彼が好きでした。

 幸福に包まれている彼が好きでした。

 とてもとても、羨ましくて。

 彼のそんな様子を見ていることが、好きだったのです。

 わかっていました。

 私が、彼女のようにはなれないことは。

 だから私も、それを望んではいませんでした。

 それでも。

 彼の近くに、いたかったのです。



 どんな存在でもいい

 私を あなたの傍にいさせてくれませんか?



 届かないのです。

 私の想いは。

 どれだけ、願っても。

 彼には彼女という存在があるから。

 だから、私は近付けないのです。

 彼が、私を求めるわけがないのだから。


 だからもう、終わりにしようと決めたのです。

 彼の近くには、行けないから。

 彼の想いは、たった一箇所へ続くから。

 その想いは透き通っていて、真っ直ぐで。

 だから私は、彼には、誰よりも幸せであってほしいのです。


 彼が幸せなら、それでいい。

 私は、この想いを忘れて行くことができる。

 それでいい。

 彼は、彼の幸せの中でだけ、生きてほしい。

 私の想いに、気付かないまま。

 そうすれば、私は終わりにできる。

 届くことは決してないのだと、思うことができるから。



 そこは、私と彼の家の分かれ道でした。

 小さな川を渡った、橋の上で。

 私は、彼に手を振りました。

 じゃあね、と一言。

 彼が返事を返した時にはもう、私は歩き始めていました。



 空は、もう暁色に変わり始めていました。

 途切れ途切れの雲の合間から、太陽の光が見えます。

 歩みを速めようとして、彼から早く遠ざかろうとして。

 涙が溢れてきました。


 私が描いていたものは、ここには無いけれど。

 それでも、夢を見たかった。


 誰かが、私の腕を強く掴みました。

 振り返ることが出来ずに、けれどその声が、それが彼であることを教えてくれました。

 涙が、もっと溢れてきました。


 また、夢の中へと行くようでした。

 どうして、終わりにこんなことが起こるのでしょう。

 どうして、また期待を抱かせるのでしょう。

 ピリオドを打つしかないものだというのに。

 もう二度と、こんな風に彼と過ごす時間はありはしないのだろうに。



 私の腕を強く握った人は、別の手で、そっとハンカチを渡しました。

 何でひとりで泣いてるんだ、と、強く、優しい声で言いました。

 私は、彼のハンカチを濡らしていくことしかできませんでした。



 忘れていました。

 彼は、とても優しい人なのです。

 誰にでも、優しいのです。

 だから、夢を見ることなんてできないのです。

 現実に、気付いているのだから。



 今、この腕に縋りつくことが出来たら。

 彼の前で、思い切り泣くことが出来るのなら。

 もしかしたら、別の道が待っているのかもしれません。

 彼女と同じ存在にはなれなくても、

 何かが違うのかもしれません。

 けれど、そんなことが出来るはずもありません。

 私は、ゆっくりと彼の腕から逃れました。



 そのまま、私はそこを去りました。

 ごめんね、と彼に言おうとして、けれど嗚咽で声にはなりませんでした。

 今度会ったときに、きちんとありがとうを言おうと思いました。



 風が、少しだけ冷たくなっていました。

 私の涙をさらうように、すっと頬を撫でていきました。

 彼がどうしたのかは、わかりません。

 けれど、私がそこを離れるまで、足音は聞こえませんでした。



 終わりを考えたときから、わかっていました。

 想いが、そんなに単純ではないということ。

 簡単に諦めることなんて、できないということ。

 それでも、決めたのです。






 空の色が、青から暁へゆっくりと変わるように。


 私の想いも、いつか変えていくことができたなら。